気の向くままに

その先果てない道を歩きたくて

明けない夜はない

 

 

 

文章を考えて考えて推敲して書いていくか、はたまた記憶に新しいうちに勢いでばーーーーーっと書いてしまうか、悩みに悩んだ末勢いで書いてしまおうと思います。

 

…と思いながら書き始めた2021年1月1日午前2時過ぎ、流石に眠すぎて頭回らなくて書くのを後回しにしました。ということでひと晩、ふた晩経っての感想にしてみます。どちらにせよ文章にまとまりがなくてとっ散らかっていますが、多めに見てください。すみません。

 

 

 

思い返せば約2年前、2019年1月27日午前5時過ぎ。

ツイッターのトレンドで目に入ってしまって慌ててFCページにとび、みた「活動休止」という文字に、わたしは「遂にきたか」と思いました。いつか来るだろうとは思っていたピリオドだけど、これから本格的に20周年のお祝いをしていくであろうこのタイミングで来るとは思っていなくて。and moreが発表されて、カウコンに5人揃ってめちゃめちゃカッコよく登場して、浮かれ気分でしかなかったこのタイミングでの発表を本当に「狡い」なあ~~~って、そう思っていました。FC動画だけじゃその真意は見えてこなくて、会見を見ていつも通りのコントみたいな大好きな嵐がいて、自担の「僕たちはずっと嵐です」の言葉があって、「前を向きすぎていても辛いだろうから」という言葉があって、もちろん泣いたし前向きにはなれなかったし世界に絶望しかなかったけれど、まだ2年あるから、それまでに笑って手を触れるように、感謝で終われるようにしようとも思っていました。まだまだ時間はある。そう、本気で思っていました。

 

 

いや~~~……2年、あっという間だったなぁ。

時間をかけて準備すれば良いと思っていたけれど、結局現実から目をそらすことしかできなくて。休止することをようやく実感したというか、現実的に感じるようになったのが「VS嵐 最終回」という言葉を目にしたとき。そしてそこからは、本当にそこを直視することができなくなっていました。特にここ1か月はずっと逃げてた。しやがれの最終回も、スーパーライブも、実はまだちゃんとは見れないまま残っています。自分で自分のことをアホだなぁと思う。本当に。

それでも、そんな逃げてばかりなことに罪悪感も感じていたから、12月30日は「明日で全部終わるんだなぁ、解放されるんだなぁ」とも思ったりしていて。たかだか数年のファンの分際で何思っているんだよって感じで本当に申し訳ないんですけど、ここ一か月の自分にも、2年前から心のどこかにずっといた「休止」という現実にも疲れていたみたいで、解放されるなぁなんて思ってしまっていました。ごめんね嵐。すみません古参のみなさま。

休止を見ているつもりで直視はできていなかったからか、心では号泣していても、実際に涙が出てきたことって実はそこまで多くなくて。「最近嵐見ると毎回涙出るんだよね」なんて状況ではありませんでした。前振りとか5人揃っている絵で泣けたりはしたし悲しくもなるし感動もする、毎回心の中では大号泣なんだけど、嵐の圧倒的なキラキラ感で涙が引っ込むんですよね。純粋に「楽しい」「好き」そんな感情だけに嵐はしてくれてました。まぁそんなんだったので、結局は最後まで泣かずにいれるかな、純粋に全力で楽しめるかな、笑って送り出せるのならそれがいいな~~なんてそんな呑気なことも考えていたりして。お友達の家で一緒に見たので31日は自宅にいなかったんですけど、家を出るときに姉に「全力で楽しんでくるわ」なんて言ってみたりもしました。結果、一曲目から涙が止まらないのなんの。後半戦は大号泣ですね。台ジェネからピカダブの流れ、本っ当に狡い……………

 

 

『This is 嵐 LIVE 2020.12.31』としては、本当に良いコンサートで、凄いエンターテイメントの世界で、「これが嵐のコンサートだよ!!!」って、胸を張って言えるようなコンサートだったなぁとオタクながらに思っています。もはや設営の図が欲しくなるようなステージ設計に、クオリティがハピライから50000000000000倍くらい高くなっている気がするAR、5×20以上に凝っていたし素敵だったモニター映像、とんでもない液晶の数々、(ここは引きじゃないと何回か思ったりもしたけど)完璧だったカメラワーク、アイドル全開の5人のパフォーマンス、と思ったらゆるっっっゆるのMC、ちょっとシュールな場面、etc………。本当に、嵐ってすごいなぁと思うコンサートで。東京ドームで配信ライブをやって、ここまで完璧にドームの空間を使いきることなんて、たぶん嵐にしかできないんだろうなぁと思います。本当に凄かった。「嵐ってとんでもない集団だったんだな」と、見た人全員に思わせることができたんじゃないかとさえ思います。ほんっと上から目線、というかお前誰感強すぎる感想でごめんなさい。潤くん、本当にありがとう。

 

 

そして。

たくさんの方が全文載っけていますが、わたしはわたしで全文書き出してみます。自担である、嵐の二宮和也さんの、最後の挨拶です。

 

えー皆さんありがとうございました。今、この天井に、みんなのメッセージが出てて、「ありがとう!」「いつか、また!」「5人で嵐!」「嵐ありがとう」……ほんと無数の、メッセージをいただいております。でもほんとに、ありがとうを言わなければいけないのは我々の方で。世の中がこういう状況になり、我慢をするということが普通になってきたこの世の中で、コンサート一つとっても、形を変えながら、やっていく中で。それでも楽しんでくれるみんながいたから、この2020年を僕らが走りきることができました。本当に、ありがとうございます。

そして、もちろん、こういう仕事をするうえで、リスクは承知の上で、僕らを支えてくださったスタッフの皆様。本当に、ありがとうございます。……本当に、こういう場所に立てて、たのしくコンサートができるというのは、幸せものだなぁと…改めて感じています。十分幸せだし、ほぉんとに感謝してるんだけども、まぁ欲を言わしてもらうと、もうひとつだけ、、、、、、、、我儘言っていいならば、、、、、まだまだツッコミたかったし。もぉっともっと、弄りたかったです。……うん。……それが本音かな。…やっぱり、僕の言葉というのは、この21年間の、中で走ってきた言葉というのは、すべて4人に向けた、言葉だったし、すべて…この4人が産んでくれた言葉だったと思っているので。なんか、昨日の夜……それを取り上げられちゃうような気がして。妙に浸ったりして。なんか不思議な時間でした。…………欲深い人間ですいません。ただ、今日もみんなと会って、まぁほんと……リハーサルだろうと、こういう大本番だろうと、変わらずたのしめるのは、やっぱり嵐は凄いなと。痛感しました。

事務所の関係各所、スタッフの皆様本当にありがとうございます そして、先輩の皆さん。ぁ、んー見てるかどうかわからないけど。先輩の皆さんにも、本っ当にいろいろ教えていただきました。追いつけ追い越せの、気持ちで頑張りましたが、追い越すことなんてのはとんでもなく。追いつくことすらも、できなかった、ただ、近くには行けたのかなぁと。そういう風に思っています。

そしてー……今日もね、後輩の子たちがついてくれてきたけど、後輩のみんなも、「嵐のようになりたい」とか。「嵐みたいに頑張りたい」とか。そういうことはもう………言えなくなります。これからは、あなたたちの色で、あなたたちの輝きを、あなたたちのファンに、届けてあげてください。

そして、えぇー…江田、松本、稲葉、福士、富岡。この5人。僕らが忙しくて、ステージのリハーサルに立てないときも、彼らは全部やってくれました。…後で褒めてあげようと思います。

とにかく、そぉいう、縦のつながりと、横にはこんな…頼もしい4人がいて。ほんっとに、たいっへん嬉しい、幸せな、21年でした。その目の前に、応援してくれている、ファンのみなさんたちがいて、本当に、幸せ者です。……本当に。ほぉんっとうに、ありがとうございました。

……………また。

 

嵐おじさんたち、年を重ねて1人1人の挨拶が長くなっていってるんだって5×20のときだったか嘆いていたのを文字に起こして思い出した…ってのは置いといて。号泣ポイントたくさんありすぎるけど、まずはにのみやくんの、本音……です。

わたしは二宮担なので、会見の時から、ずっと、にのみやくんの言葉たちに救われてきました。いろいろな人にこのニノかっこよかったねって言われた「リーダーが悪者になって見えるのであれば、それは我々の力不足だと思います」という言葉もそうだけど、さっきも出てきた「僕たちはずっと嵐です」とか「前を向きすぎていても辛いだろうから」とか。休止会見後のVSの「2年経つ前に番組が終わっちゃうかもしれないんだから」とかもそうだなぁ。本当にたくさんのにのみやくんの言葉に救われてきて、無理して前向かなくてもいっかなぁ…って、いつだってこっちを向いて、言葉を紡いでくれたにのみやくんに支えられていました。

一方で、にのみやくんの本音を見つけることはできなくて。「俺にとっての嵐はいつも4人」「4人がそれでよければいいんだよね」と言うにのみやくんの感情は、果たして嵐に、4人に、伝わっているのかなって。勝手に不安がっていました。なにせ、2019年2月1日のMステを忘れられないオタクなので、ね。普段から目の水分量が多いにのみやくんだけど、元からだとは言えないくらいの水分を目にいっぱいに溜めていて、ぎゅうぅって5人くっつこうとしたのも自分が安心したかったからのようにも見えたあの日のにのみやくんは、嵐がいなくなっても大丈夫だなんてとてもじゃないけど思えなかった。それでも、21年以降のお仕事に対して少しずつ前向きな発言が見られるようになってオタクは勝手に安心して、勝手に「依存」から「愛」に変わっていたような気がしたけど、最後の12月、いや、11月の終わりくらいから、にのみやくんはまた目にたくさんの涙を溜めるようになって。まるで自分に「終わり」なんだと言い聞かせるように、「笑って楽しまなきゃもったいない」そう言い聞かせるようにしてる印象を、勝手に抱いていました。VSでは誤魔化しがきかないくらい、「覚えていない」と言うことでしか逃げられなかったくらいちゃんと泣いちゃっていたにのみやくん。どんなにお酒が入っていても「語らないって決めてる」「語らないというより語れない」と、自分の休止に対する気持ちは絶対に言葉にしなかったにのみやくん(ちゃんとは見ていないだけで主要場面は見てるオタク)。表情にも身体反応でも感情が出ちゃっているのに、それでも決して言葉にはしないことで明確にはさせなかった、そんなにのみやくんが、本当ににのみやくんらしいなぁと、わたしは勝手に思い、泣いていました。

そんな、とにかく天邪鬼なにのみやくんから発せられた本音は、最後の我儘は、本当にわたしの胸に突き刺さって。「歌いたかった」でも「踊りたかった」でもなく、「ツッコミたかった」「弄りたかった」という、相手がいないと成立しない言葉たちを選んで。そしてその相手は、他の誰でもない、嵐の、4人のメンバーでしかなくて。…わたしはその時代を生きていないけれど、Jr.時代のにのみやくんとか、ま~~~基本喋らない人、じゃないですか。ヒロミさんには今でもずーーっと「コイツはしゃべらなかった」「ぼーーっとしてた」て言われるくらい、そういうところで喋れない人だったと思うんです。そんなんだったにのみやくんが、今ではこうして鋭いツッコミをし、面白くなるところでちゃんと弄って、的確にパスを受け取り、的確にパスを投げていくようになったのは、この4人と、嵐というグループを組んだから…なんだろうなぁと。だからこそ、にのみやくんにとってツッコむのも、弄るのも、相手は4人でしかないんだろうなぁと。オタクをしていくなかで「きっとそうだろう」とは思っていたけど、それがこの瞬間確信に変わって、だからこそ切なくて、哀しくなりました。素直になりきれない、でも素直なにのみやくんから、目にいっぱいの涙を溜めて、くしゃくしゃになりそうな顔から出てきた遠回しの「もっと5人でいたい」「休止したくない」という想いに、そりゃ~~~~~~~泣きました。ボロッボロに。

 

そんなボロボロに泣いているわたしにさらに追い打ちをかけるように、いろんなところへの感謝を伝えていくにのみやくん。先輩だろうが敬語使わないし弄りまくるしで外野からは失礼だとかなんとか言われがちだけど、「見てくださっているかわかりませんが」「追いつくなんてとんでもなく」なーんてどこを切り取っても敬意しか伝わってこない言葉たちに「好き!!」となり(語彙力)、「後輩とは出逢わないようにしてる」なーんて言ってた時代もあったにのみやくんから出てきた後輩への言葉たちに「好き!!!!」となり(だから語彙力)。

表に出てくることはなかったけれど、裏でバッチリ支えた5人の名前を出したときには、本っ当に大好きなにのみやくんが詰まっていて。アレですね、宿題くん最終回でずっと前説やってくれてたブラックパイナポー呼んだやつとかこないだのMr.VS嵐でバウンドホッケーのパック回収スタッフを出したりとか、そういう裏方にもちゃんと目を配り、光を当てることのできるにのみやくんが、わたしは本当に大好きなので、長年バックでついていて、かつこの日までサポートに入っていたJr.の名前を出したところで、またボロ泣き…ていうかここらへんずっと泣いてるんだけど(笑)、そんなわたしの「好き」が詰まりすぎた、完璧すぎる挨拶でした。最後の最後の「…また。」は本当~~~~~~~~~~~~~~~~~~に狡かったなぁ、その表情と、声のトーン含めて。本当に狡かった。

 

 

 

うん。

 

 

 

わたしの人生、本当に嵐でできていました。

物心ついたときにはもうすでに嵐はトップアイドルで、流星の絆のにのみやくんを見て一目惚れをし、VSをはじめとする嵐の番組を見て嵐の雰囲気だとかバラエティが好きになり、歌番組でも見るようになって曲も知るようになって、インターネットを自由に徘徊できるようになってからは嵐で検索し勉強し続ける日々を過ごし、Johnny's netで知った自担のラジオ番組をradikoで聞くようになり、初めて自分のお金でCDを買い、DVDを買い、ドームに行き、グッズを買い、ワクワクに行き、FCに入り、コンサートに行き………………。嫌なことも、良いことも、日常生活は嵐で全部浄化されていました。嬉しいときも楽しいときも、辛いときも苦しいときも、いつもそばに嵐がいて。よく「○○はわたしの青春です!」なんて言いますが、わたしにとっては青春なんてもんではなく、人生そのものな気がしています。20歳になったばかりだけど、わたしの10代を構成してくれたのは嵐だったので。アイデンティティが形成される上で、大きく関わったのはにのみやくんをはじめとする嵐の言葉たちだったし、本当に、嵐はわたしの人格形成の段階から支えになっていました。「毎日、どこかに嵐がいた」本当に、そんな生活でした。

なので、これから自分がどうなっていくのか、本当に不安しかありません。人間としてどう生きていくのか、どう生きていけばいいのかもわからない。「嵐を知る前の生活に戻る」ことなんて出来ない。だって、そんな日々を覚えていないし、もはや知らないのだから。嵐のみんなもそうなんだろうけど、わたしはわたしでここから第2の人生が始まるような、そんな気がしてしまっています。趣味に比重を置きすぎたなあ自分……。ちなみに第2の人生が始まって2日、さっそく「つまんねえな」って感じです。笑

 

それでも。

 

明けない夜はないのだから。

 

また今日も、明日も、頑張って生きてみようと思います。

虚無感と、寂しさと、切なさと、いろーんな負の感情があるけれど。もう暫く、わたしの大好きだった5人特有のあたたかさに触れることは出来ないけれど。もう暫く、本当に大好きだった銀河一の輝きを放つキラキラアイドルな自担にも会えなくなっちゃうけれど。決して「サヨナラ」ではないから。頑張って生きてみたらイイことあるかもしれないし、また巡り合えるかもしれないし。頑張るよ。頑張ってみるよ。嵐に支えられて生きた人生だけど、同時に、嵐から生き方を学んできてもいたから。好きの対象だけじゃない、尊敬の対象でもあった5人のように…っていうのはちょっと難しいけど、わたしなりに頑張ってみようとは思います。嵐、たくさんのことを教えてくれて、本当にありがとね。

 

 

たとえもう会えなくても。嵐のファンでいれたことは本当に誇りに思うし、本当に幸せな時間だったと胸を張って、声を大にして言います。こんなにも楽しい、幸せな人生を歩むことができているのは全部、嵐のおかげです。本当に本当にありがとう。

そりゃ~また5人に会えたら嬉しいけど、5人それぞれが幸せだと思う道を選んでくれたら、それがわたしにとって一番の幸せだから。泣かずに笑顔で、寂しいなんて感情は持たずに送り出すことはできなかったけど、嵐に幸せでいてほしいという気持ちは、偽りのない、わたしの心の奥底からの願いなので。自分たちの思う道を、自分たちの思う幸せを、生きていてほしいなあと、ただのオタクではありますが勝手に願っています。

 

嵐のみなさん。

21年間、本当にお疲れさま。

わたしの人生を華やかにしてくれて、本当にありがとう。

最後まで、"現在"の嵐が一番好きだと、そう思わせてくれてありがとう。

嵐を好きになれて、本当に、本当~~~に、良かった。

 

いつまでも、大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

…また、いつか。

 

 

可笑しいくらい君が好き

 

2020年6月17日水曜日

 

 

今日、世界で一番大好きな自担が、またひとつ年を重ねました。

 

 

 

正直、わたしにとってはあまりにもいろいろなことがあったなぁと思ってしまう1年。

去年のお誕生日のときにも思ったけれど、1年前の自分に今の自担はこんな感じだよ~と伝えてもまったく信じてもらえないんじゃないかと思います。にのみやくんと過ごす1年は、すごくあっという間で楽しくて幸せで、だけど本当に濃ゆーい1年。

レーニングをはじめて、SNSをはじめて、サブスクを解禁して、Netflixでドキュメンタリーを撮っていて。

日に日にカッコよくなっていく自担に、実は年齢詐称してるんじゃないかとか若返りの薬でもあるんじゃないかとかそんなメルヘンなことを思いつつ、毎日これ以上ないと思うくらい好きなのに限界がどこにもなくて、さらに好きを増幅させています。

 

そして何より、36歳の自担は”結婚”しました。

これが世のオタクにとっては想像以上に大きな出来事だったみたいで。びっくりするくらいの悪口が並ぶトレンドやらツイートに神経すり減らしてめちゃめちゃしんどくなっていたことを、昨日のことのように覚えています。あれはきつかったなぁ…

去年なら直接絡んでいたようなアカウントのフォローを外しました。リアルで集まってDVDを見ていたような高校の友達とも距離を置いた。合わない意見をたくさん目にしたし、心無い言葉たちに傷ついたりもしてました。

それでも、わたしがにのみやくんを好きだと思えたのはにのみやくん自身が全く変わることなく、むしろ前よりも輝いて見えたからで。どんなに悪意しか感じ取れないツイートがネットに並んでいても、にのみやくんはビジュアルでぶん殴ってくれた。いつも通りそこにいてくれて、バラエティでは周りをよく見てツッコミを入れていたし、ベイストでは捻くれた理論を話していたし、5人だけでいるときにはそれはそれは楽しそうな、安心した表情をしていた。それに本当に救われたし、「わたしはこの人を応援し続けたい」と思わされました。特に個人的に不安定だった年末、にのみやくんのビジュアルが格段に良かったことにとにかく救われました……何度不倫してって思ったかわからん

 

『痛くて、辛くて、悲しくたって、ただただ前を見る。』

いつだってどこか寂しそうでどこかに消えてしまいそうな儚さを持ち合わせてるように見えるにのみやくんだけど、にのみやくん自身はわたしが思っているよりも全然強い人だと常々感じます。楽しかった話とか面白い話はたくさんするくせに、自分が辛かったり苦しかったであろう話はめったにしない。SONGSでも「全然覚えてないんだよね」ってどこかはぐらかしてたよね。どんなときでも目の前にあるお仕事に全力を注いで、前だけをみて進んできた、そんなにのみやくんにわたしはいつも励まされてきて、救われてきました。それはきっとこの先も変わることなく、にのみやくんが表舞台にいてくれる限り抱き続ける感情になると思います。

 

 

にのみやくん。

 

 

もしかしたらこれが "現在進行形の嵐として活動する" にのみやくんをお祝いする最後の誕生日になるかもしれません。

5×20が世に送り出されたときには活動休止を発表しているとわかっていながら、それでも"嵐の20周年をお祝いする"という気持ちでまとめ上げた歌詞。

ずっと言い続けている「嵐に還元できる仕事しかやらない」という言葉。

嵐に絶対的な信頼を寄せていて、どんなお仕事も嵐を基準に決めてきたにのみやくんを、わたしは好きになりました。俯瞰的で冷静で「人間的に大事なものが欠陥している」とよく自分で言うにのみやくんが、「褒められたら疑うようにしている」と言うにのみやくんが、素直に無邪気な笑顔を見せて、安心した表情で、バラエティみたいに特別声を張ることもなく、素に近い姿を見せてくれる。そんな5人だけの空間が、なぜだかわたしまでとても貴重で、大切なものだと感じるようになりました。嵐の中で笑うにのみやくんのことが大好きで、嵐の中だとぼーっとしちゃうにのみやくんが好き。何より、嵐としてキラキラ輝くにのみやくんが、世界で一番好き。この気持ちもきっと、未来永劫変わることはないと思う。

辛いこともたくさんあっただろうしやりたいことだってたくさんあっただろうけど、それでも嵐でいることを選んでくれてありがとう。にのみやくんが嵐でいてくれたからわたしはにのみやくんと出逢うことができたし、楽しいなあと思える人生を送ることができているよ。当たり前に存在するものでそんなかっこいい言葉じゃないけど、でもトクベツなコレを、今日もこれからも、たくさんたくさんにのみやくんに伝えていきたいと思っています。

 

 

36歳のにのみやくん。

たくさんの幸せを、笑顔を、本当に本当にありがとう。

 36歳のにのみやくんを応援出来たこと、本当に嬉しく、幸せに思っています。

 

 

ここから半年後、そして1年後。

どんな風になっているかなんて全然わからないけど、変わらずたくさんの応援の声の中で、愛の中で、幸せそうにキラキラ笑っているにのみやくんを見れたらと思います。そしてわたしも、その応援の声のひとつになれていればと思います。また来年、変わらずこの場所で、にのみやくんのお誕生日をお祝いできますように。

 

 

 

最後になりましたが、

 

二宮和也さん、37歳のお誕生日おめでとうございます。

37歳のにのみやくんとその周りの方々に、たくさんの笑顔と幸せが降り注ぎますように。

 

ずっとずっと大好きです。

 

#とどけ感謝

 

 

 

2020年5月17日に配信された「嵐のワクワク学校 生配信ホームルーム」にて提案された”感謝をとどけるためにタグをつけて投稿しよう”というもの。

 

ツイッターの方でもいくつか投稿させていただきましたし、まだまだたくさんの方に感謝を伝えたいなぁとは思うのですが、やっぱり、この人たちへの感謝が大きくて、140字になんて収まるはずもなくて、こうしてブログで書き綴ることにしました。ただのわたしの自己満です。

 

 

19時なんてとっくに過ぎてるけど、ちっちゃいことは気にしない

 

 

誰よりも、何よりも感謝を伝えたい人、

それはやっぱり嵐のみなさんです。

 

 

嵐として活動し続けてもうすぐ21年。

そんな中で、わたしが5人を応援できているのはほんの数年に過ぎません。

世の嵐ファンの中ではまだまだ”ド新規”に分類されるだろうと思います。

 

ですが。

 

”嵐に出逢って人生が変わりました”

 

と言えるほど生きてからファンになったわけでもありませんでした。

どちらかといえば、

 

”嵐に出逢わなかった人生が全く想像できません”

 

というような人間です。

嵐がいない自分が、どうやってストレスを解消し、癒され、困難を乗り越え、毎日を頑張っていくのかを正直想像することができません。それくらい、あの時大変だったなぁ、辛かったなぁ…というときにはすでに、嵐の存在がありました。

 

それはもちろん、今もそうです。

 

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、今まで当たり前だった生活ができなくなりつつあります。

たくさんシフトが入っていたバイトも、4月から当たり前に始まると思っていた学校も、休みの日は友達と遊びに行くこともご飯を食べに行くことも、旅行も、すべてがなくなりました。夏休みの予定だって立てられる状況にありません。わたしの友達の多くは今年で20歳になっていますが、そんな大切な20歳の友達の誕生日すら直接会ってお祝いすることはできていません。1年前までは”当たり前”で”ちょっぴり退屈”で、”疲れ”すら感じることのあった日常を、今はおくることができていません。緊急事態宣言がいくつかの地域で解除され、お店も営業再開や学校再開などのニュースを見ても、入場制限や会話を減らすための工夫がされていて、特に学校の給食を間隔をあけて1人で黙々と食べているところを見たときには凄く悲しく切ない気持ちになりました。COVID-19の抑え込みに成功したとされる台湾でも、緊張を緩めずスポーツ観戦を再開しても入れる人は2000人以下にするなどの対策(詳しくは覚えていないのですが)をとっているそうで、去年までの”当たり前”はいつ帰ってくるのだろうかと、先が見えない不安な気持ちになることもあります。

 

そんな不安も寂しさも、嵐を見ると吹き飛ばすことができるんです。

 

週2回の5人でのレギュラー番組は変わらず放送されていて、週1回ペースでYoutubeで動画を配信してくれて、ワクワク学校もやってくれて、インスタグラムのストーリー更新もしてくれる。できないことも、できなくなってしまったこともきっとたくさんあるんだろうけど、できることをできるだけファンに届けてくれる。週にたくさんの、所謂アラシゴトがあって、そのために頑張ろうと思える。外出できなかったり友達と直接会えなくて暗い気持ちになる、その前に嵐がいろんな活動を届けてくれる。これだってそう、批判的な意見ばかり目にする毎日だけど、あたたかくて素敵なタグをつくってくれている。こんな状況でも、前向きな、明るい気持ちになれるのは間違いなく嵐のおかげで。相も変わらずわたしは”嵐に支えられて”いて”嵐に生かされている”のだなぁと感じています。

この先どうするんだよとか、そういう話はとりあえず置いといて。

 

嵐のみなさん、

わたしを生かしてくれてありがとう。

たくさんの幸せをありがとう。

 

 

届いてほしいけど、正直届かなくてもいいかなぁなんて、そう思ってしまう感情ではあります。この想いが彼らの負担になることだけは避けたい。この先のこととか、そういうのは来るべきときがきたら考えればいいと思っているし、どうにか生きていけるだろう、生きていかなくちゃいけないとは思っているので。まずは今、5人にたくさんの感謝を伝えたいなぁと思っています。

 

 

#とどけ感謝

 

 

嵐自身にも、たくさんの感謝の言葉が届いていますように。

本当に、いつもありがとう。

 

 

1月27日。

 

 

 

 

 

1年です。

あれから、ちょうど。

 

 

 

 

 

 

センター試験が終わって、いよいよ本試がはじまるね、頑張ろうね!!と、受験真っ盛りだったわたしが勉強しなくなりズタボロで本番を迎えるきっかけとなった日から、今日でちょうど1年が経ちます。

 

 

ご飯もまともに食べれなくて、毎朝毎夜聴いて元気づけられていた嵐の曲が聴けなくなって、泣く泣く学校に行っていろんな人にいろんなこと言われて、外出すると聞こえる見ず知らずの人たちの会話に勝手に傷ついて、Twitterでしか精神を安定させることができなかった日々から、1年が経ちます。ボロボロだったねあの時のわたし。メンタルも、結果も、すべてがズタボロだったね。第1志望どころか第2志望、第3志望すら落ちてTwitterで「全落ち」で検索かけていた日々、両親に怒られ後期試験でも受けられるように学校にお願いして調査書追加してもらって、その次の日になんとか合格を貰えたのはセンター利用で受験した学校だったね。でも受験の神様って本当にいるんだろうな。ギリギリで、本当にギリギリで、半分記念受験だった第1志望の大学に今は通うことができています。たくさん泣いた甲斐があったのかもしれない。1月に入ってから1度も学校をサボらなかったおかげかもしれない。御守りが効果を発揮してくれたのかもしれない。とにかく、あの日からいろんなことがあって、今日、1年が経ちました。わたしに未来がなくなって1年が経ちました。楽しくて幸せで、でも地獄のような日々がはじまってから1年が経ちました。

そんな中で、今日もわたしは生きています。

 

 

 

1年前のわたしへ。

来てほしくなかった2020年となりました。貴方が今抱いている感情から何も変わらず、ただカウントダウンだけはしないようにと意識しながら、1日1日を無駄にしている毎日です。"20周年"というものに救われてきた2019年が終わり、いよいよ「2020年末で活動休止する国民的アイドルグループ嵐が」という枕詞を否定できなくなりました。辛い。辛いよ、とんでもなく。でもね、どこかで納得して受け入れてるわたしもちゃんといます。2021年になっても生きなきゃなぁって、そう思っているわたしもいます。そこだけは少し、成長できたかもしれないなぁ…。

 

 

それと、しんどいことが1つ増えました。

 

 

でもそれが何なのかはここには書きません。「嵐ファンって楽しいなぁ、最高だなぁ!」と、そう思ってたいつの日かのわたしは今はいないけど、意地でも応援し続けようとは思ってます。…なんかこういう書き方すると否定的だと思われちゃうのかな。嵐のどんな挑戦も前向きに受け入れて風に変えていこうと思ってるわたしは今でもいる。むしろ今の方がその想いは強いと思う。だから安心してほしい。「嵐が好きで二宮和也が好き」その気持ちが揺らぎそうになったことはあったけど、結局変わってないよ。大丈夫。それから、嵐もにのみやくんも今日も変わらず輝いてるよ。大丈夫。わたしは今でも嵐のファンであることに誇りを持っているし、嵐のファンで良かったって思ってる。この気持ちが変わることは、きっと今後一生無い。

 

 

 

この間、ふとあの時期たくさん吐き出していた言葉たちを読み返してみて。そういえば、あの日なんとか絞り出せた1番最初の言葉は「狡い」という言葉でした。この決断をした5人が死ぬほど愛おしいけど、でも気持ちはついていけなくての「狡い」。20周年が終わったら覚悟しなきゃな〜なんて甘く考えていたわたしをぶん殴ってくるかのようなことをしての「狡い」。一区切りを知ったはずなのに、どこまでもかっこよくてファン想いで益々好きにさせてきての「狡い」。そんな色んな感情が詰まった「狡い」という言葉を、なぜかリア垢でツイートするっていう…(笑) もちろん、その裏にあった今書いたような想いを理解してくれていた人なんて、リア垢のFFにはいなかったと思います、ハイ。

いつかはくると思っていた「最期」を突然、本当に突然意識させたこと。10年以上トップに立ち続けて今尚トップにいる上での「休止」。どこまでもカッコいい人たちだって思ったのは、本心でした。

「終わりに感謝できるような人間にしてくれたのは他でもなく嵐だから、ちゃんと笑って見届けられるようにしたい」

そう、せめてたくさんのありがとうを伝えたい。それがどんな終わり方でも、休止という名の解散だったとしても。あの日の、あの日から数日間のわたしは、そんなこと思ってました。

 

 

 

1年が経って、すっかりその考えが抜けていた気がするなぁって。結局わたしは、迫ってくる現実からいつまでも目を背けて、5人で笑い合っている嵐を見て幸せを感じているだけの日々。ほんと、準備なんかこれっぽっちも出来てない。あと11ヶ月と3日で、本当に嵐が5人で笑っている姿を見れなくなるなんて、全然信じられないし信じたくない。正直、そんな世界で生きていける自信がない。

 

でもね、これでいい気がする。

 

わたしは今を楽しみたい。嵐と色んなことを楽しめている今を。何も考えずに、純粋に、笑いながら過ごせている今を、自分が勝手に抑えつけることで失いたくはない。……1年経って、ただ我が儘になっただけ。自分でも笑っちゃう話だけど、でもその方が幸せだと思うんだ。だから良いかなぁって。何も悲観的になる必要ないかなって、今はそう思うようになりました。

 

 

 

 

さあ、

2020年が幕を開けました。

 

あの日から、活動休止が発表されてから、今日で1年が経ちました。

 

彼らが1度歩みを止めてしまうその日まで、残り、11ヶ月と3日です。

 

 

…カウントダウンなんて本当はしたくないけど、でも今日という日だけはこの数字を胸に刻もうと、そう思います。

 

 

 

 

"ずっと僕の宝物さ 可笑しいくらい君が好き"

 

嵐担になってからずっとそう思ってたし、今でもそう思ってる。けどね、

 

"いつか君が笑えるなら 僕は心から手を振るよ"

 

1年前の今日、1月27日からは、こうとも思うようになりました。

 

 

 

正直、離れたくないし歩みを止めて欲しくない。自担に散々「俺らを生きがいにしないでね(ニュアンス)」って言われてきたのに、その気持ちは抑えられなかった。ごめん。嵐を応援するということは、嵐のファンであるということはわたしの生きがいで、生きる意味で、存在価値だとも思ってる。わたしには嵐しかないんだ、この気持ちだけはどうしても変えられなかった。

でもね、それと同じくらい、下手したらそれ以上に、嵐5人には幸せであってほしいと思ってるの。

それはたぶん、今までわたしが嵐から数えきれないほどの幸せを貰っているから。その幸せの中にはきっと、嵐が何かしらの犠牲を払ったから成り立つものもあると思う。アイドルであるが故に、たくさん我慢して、犠牲を払って生きてきた人たちだと思う。だからこそ、嵐5人には世界中の誰よりも幸せになる権利があると思うし、幸せでいてほしい。一オタクの小さな願いに過ぎないけど、本当にそう思ってます。だからわたしは5人としての決断も、1人1人の決断も受け入れたいし応援したい。だって嵐"ファン"だもん。「〜だからといって本当のファンではないということはない」と彼らは言ってくれるけど、少なくとも"ファン"であるなら応援しなきゃいけないとわたしは思ってます。だから応援し続けるよ、この先どんなことがあっても。どれだけ厳しい挑戦をしていても、どれだけ嵐が変わっても、“嵐ファン”を名乗り続ける限りわたしは応援し続ける。

 

 

 

あと11か月と3日。

現状決まっているのは北京公演(できるのかな…笑)と新国立競技場公演。…あとオリンピックのお仕事、にのみやくんの浅田家!。

だからね、すごく楽しみにしてます。この先何が待っているのか、どんなサプライズがあるのか、何をしてくれるのか。こんなこと言ったら贅沢だけど、きっともっとたくさんあるって信じてるから。わがままなオタクでごめんね。

 

 

1年前から、本当にたくさんのことをしてくれた嵐。あの日から今日まで、本当にたくさんのことをしてくれて、たくさんのことがあって、たくさん笑って、たくさん喜んで、たくさん悲しんで、たくさん泣きました。ちょっとしたことで辛くなったし、ちょっとしたことで幸せを感じられました。休止を知る前と同じように、いや、休止を知る前より嵐のことが好きになりました。「トップになりたい」という夢をまだ持っている嵐を、本気で世界中に嵐を巻き起こそうとしている嵐を、風速が上がっていく嵐を。これからも全力で応援することを、今日改めてここで誓います。

 

 

 

来たれ LAST YEAR。

来たれ、最高の嵐 YEAR。

 

 

あと11ヶ月と3日。

最後の最後まで、嵐と笑っていれたらと思います。

そんな、2020年11月27日の超個人的な所信表明でした。

 

 

 

 

 

 

まずは5月15日、16日。

国立競技場で会えますように。