気の向くままに

その先果てない道を歩きたくて

明けない夜はない

 

 

 

文章を考えて考えて推敲して書いていくか、はたまた記憶に新しいうちに勢いでばーーーーーっと書いてしまうか、悩みに悩んだ末勢いで書いてしまおうと思います。

 

…と思いながら書き始めた2021年1月1日午前2時過ぎ、流石に眠すぎて頭回らなくて書くのを後回しにしました。ということでひと晩、ふた晩経っての感想にしてみます。どちらにせよ文章にまとまりがなくてとっ散らかっていますが、多めに見てください。すみません。

 

 

 

思い返せば約2年前、2019年1月27日午前5時過ぎ。

ツイッターのトレンドで目に入ってしまって慌ててFCページにとび、みた「活動休止」という文字に、わたしは「遂にきたか」と思いました。いつか来るだろうとは思っていたピリオドだけど、これから本格的に20周年のお祝いをしていくであろうこのタイミングで来るとは思っていなくて。and moreが発表されて、カウコンに5人揃ってめちゃめちゃカッコよく登場して、浮かれ気分でしかなかったこのタイミングでの発表を本当に「狡い」なあ~~~って、そう思っていました。FC動画だけじゃその真意は見えてこなくて、会見を見ていつも通りのコントみたいな大好きな嵐がいて、自担の「僕たちはずっと嵐です」の言葉があって、「前を向きすぎていても辛いだろうから」という言葉があって、もちろん泣いたし前向きにはなれなかったし世界に絶望しかなかったけれど、まだ2年あるから、それまでに笑って手を触れるように、感謝で終われるようにしようとも思っていました。まだまだ時間はある。そう、本気で思っていました。

 

 

いや~~~……2年、あっという間だったなぁ。

時間をかけて準備すれば良いと思っていたけれど、結局現実から目をそらすことしかできなくて。休止することをようやく実感したというか、現実的に感じるようになったのが「VS嵐 最終回」という言葉を目にしたとき。そしてそこからは、本当にそこを直視することができなくなっていました。特にここ1か月はずっと逃げてた。しやがれの最終回も、スーパーライブも、実はまだちゃんとは見れないまま残っています。自分で自分のことをアホだなぁと思う。本当に。

それでも、そんな逃げてばかりなことに罪悪感も感じていたから、12月30日は「明日で全部終わるんだなぁ、解放されるんだなぁ」とも思ったりしていて。たかだか数年のファンの分際で何思っているんだよって感じで本当に申し訳ないんですけど、ここ一か月の自分にも、2年前から心のどこかにずっといた「休止」という現実にも疲れていたみたいで、解放されるなぁなんて思ってしまっていました。ごめんね嵐。すみません古参のみなさま。

休止を見ているつもりで直視はできていなかったからか、心では号泣していても、実際に涙が出てきたことって実はそこまで多くなくて。「最近嵐見ると毎回涙出るんだよね」なんて状況ではありませんでした。前振りとか5人揃っている絵で泣けたりはしたし悲しくもなるし感動もする、毎回心の中では大号泣なんだけど、嵐の圧倒的なキラキラ感で涙が引っ込むんですよね。純粋に「楽しい」「好き」そんな感情だけに嵐はしてくれてました。まぁそんなんだったので、結局は最後まで泣かずにいれるかな、純粋に全力で楽しめるかな、笑って送り出せるのならそれがいいな~~なんてそんな呑気なことも考えていたりして。お友達の家で一緒に見たので31日は自宅にいなかったんですけど、家を出るときに姉に「全力で楽しんでくるわ」なんて言ってみたりもしました。結果、一曲目から涙が止まらないのなんの。後半戦は大号泣ですね。台ジェネからピカダブの流れ、本っ当に狡い……………

 

 

『This is 嵐 LIVE 2020.12.31』としては、本当に良いコンサートで、凄いエンターテイメントの世界で、「これが嵐のコンサートだよ!!!」って、胸を張って言えるようなコンサートだったなぁとオタクながらに思っています。もはや設営の図が欲しくなるようなステージ設計に、クオリティがハピライから50000000000000倍くらい高くなっている気がするAR、5×20以上に凝っていたし素敵だったモニター映像、とんでもない液晶の数々、(ここは引きじゃないと何回か思ったりもしたけど)完璧だったカメラワーク、アイドル全開の5人のパフォーマンス、と思ったらゆるっっっゆるのMC、ちょっとシュールな場面、etc………。本当に、嵐ってすごいなぁと思うコンサートで。東京ドームで配信ライブをやって、ここまで完璧にドームの空間を使いきることなんて、たぶん嵐にしかできないんだろうなぁと思います。本当に凄かった。「嵐ってとんでもない集団だったんだな」と、見た人全員に思わせることができたんじゃないかとさえ思います。ほんっと上から目線、というかお前誰感強すぎる感想でごめんなさい。潤くん、本当にありがとう。

 

 

そして。

たくさんの方が全文載っけていますが、わたしはわたしで全文書き出してみます。自担である、嵐の二宮和也さんの、最後の挨拶です。

 

えー皆さんありがとうございました。今、この天井に、みんなのメッセージが出てて、「ありがとう!」「いつか、また!」「5人で嵐!」「嵐ありがとう」……ほんと無数の、メッセージをいただいております。でもほんとに、ありがとうを言わなければいけないのは我々の方で。世の中がこういう状況になり、我慢をするということが普通になってきたこの世の中で、コンサート一つとっても、形を変えながら、やっていく中で。それでも楽しんでくれるみんながいたから、この2020年を僕らが走りきることができました。本当に、ありがとうございます。

そして、もちろん、こういう仕事をするうえで、リスクは承知の上で、僕らを支えてくださったスタッフの皆様。本当に、ありがとうございます。……本当に、こういう場所に立てて、たのしくコンサートができるというのは、幸せものだなぁと…改めて感じています。十分幸せだし、ほぉんとに感謝してるんだけども、まぁ欲を言わしてもらうと、もうひとつだけ、、、、、、、、我儘言っていいならば、、、、、まだまだツッコミたかったし。もぉっともっと、弄りたかったです。……うん。……それが本音かな。…やっぱり、僕の言葉というのは、この21年間の、中で走ってきた言葉というのは、すべて4人に向けた、言葉だったし、すべて…この4人が産んでくれた言葉だったと思っているので。なんか、昨日の夜……それを取り上げられちゃうような気がして。妙に浸ったりして。なんか不思議な時間でした。…………欲深い人間ですいません。ただ、今日もみんなと会って、まぁほんと……リハーサルだろうと、こういう大本番だろうと、変わらずたのしめるのは、やっぱり嵐は凄いなと。痛感しました。

事務所の関係各所、スタッフの皆様本当にありがとうございます そして、先輩の皆さん。ぁ、んー見てるかどうかわからないけど。先輩の皆さんにも、本っ当にいろいろ教えていただきました。追いつけ追い越せの、気持ちで頑張りましたが、追い越すことなんてのはとんでもなく。追いつくことすらも、できなかった、ただ、近くには行けたのかなぁと。そういう風に思っています。

そしてー……今日もね、後輩の子たちがついてくれてきたけど、後輩のみんなも、「嵐のようになりたい」とか。「嵐みたいに頑張りたい」とか。そういうことはもう………言えなくなります。これからは、あなたたちの色で、あなたたちの輝きを、あなたたちのファンに、届けてあげてください。

そして、えぇー…江田、松本、稲葉、福士、富岡。この5人。僕らが忙しくて、ステージのリハーサルに立てないときも、彼らは全部やってくれました。…後で褒めてあげようと思います。

とにかく、そぉいう、縦のつながりと、横にはこんな…頼もしい4人がいて。ほんっとに、たいっへん嬉しい、幸せな、21年でした。その目の前に、応援してくれている、ファンのみなさんたちがいて、本当に、幸せ者です。……本当に。ほぉんっとうに、ありがとうございました。

……………また。

 

嵐おじさんたち、年を重ねて1人1人の挨拶が長くなっていってるんだって5×20のときだったか嘆いていたのを文字に起こして思い出した…ってのは置いといて。号泣ポイントたくさんありすぎるけど、まずはにのみやくんの、本音……です。

わたしは二宮担なので、会見の時から、ずっと、にのみやくんの言葉たちに救われてきました。いろいろな人にこのニノかっこよかったねって言われた「リーダーが悪者になって見えるのであれば、それは我々の力不足だと思います」という言葉もそうだけど、さっきも出てきた「僕たちはずっと嵐です」とか「前を向きすぎていても辛いだろうから」とか。休止会見後のVSの「2年経つ前に番組が終わっちゃうかもしれないんだから」とかもそうだなぁ。本当にたくさんのにのみやくんの言葉に救われてきて、無理して前向かなくてもいっかなぁ…って、いつだってこっちを向いて、言葉を紡いでくれたにのみやくんに支えられていました。

一方で、にのみやくんの本音を見つけることはできなくて。「俺にとっての嵐はいつも4人」「4人がそれでよければいいんだよね」と言うにのみやくんの感情は、果たして嵐に、4人に、伝わっているのかなって。勝手に不安がっていました。なにせ、2019年2月1日のMステを忘れられないオタクなので、ね。普段から目の水分量が多いにのみやくんだけど、元からだとは言えないくらいの水分を目にいっぱいに溜めていて、ぎゅうぅって5人くっつこうとしたのも自分が安心したかったからのようにも見えたあの日のにのみやくんは、嵐がいなくなっても大丈夫だなんてとてもじゃないけど思えなかった。それでも、21年以降のお仕事に対して少しずつ前向きな発言が見られるようになってオタクは勝手に安心して、勝手に「依存」から「愛」に変わっていたような気がしたけど、最後の12月、いや、11月の終わりくらいから、にのみやくんはまた目にたくさんの涙を溜めるようになって。まるで自分に「終わり」なんだと言い聞かせるように、「笑って楽しまなきゃもったいない」そう言い聞かせるようにしてる印象を、勝手に抱いていました。VSでは誤魔化しがきかないくらい、「覚えていない」と言うことでしか逃げられなかったくらいちゃんと泣いちゃっていたにのみやくん。どんなにお酒が入っていても「語らないって決めてる」「語らないというより語れない」と、自分の休止に対する気持ちは絶対に言葉にしなかったにのみやくん(ちゃんとは見ていないだけで主要場面は見てるオタク)。表情にも身体反応でも感情が出ちゃっているのに、それでも決して言葉にはしないことで明確にはさせなかった、そんなにのみやくんが、本当ににのみやくんらしいなぁと、わたしは勝手に思い、泣いていました。

そんな、とにかく天邪鬼なにのみやくんから発せられた本音は、最後の我儘は、本当にわたしの胸に突き刺さって。「歌いたかった」でも「踊りたかった」でもなく、「ツッコミたかった」「弄りたかった」という、相手がいないと成立しない言葉たちを選んで。そしてその相手は、他の誰でもない、嵐の、4人のメンバーでしかなくて。…わたしはその時代を生きていないけれど、Jr.時代のにのみやくんとか、ま~~~基本喋らない人、じゃないですか。ヒロミさんには今でもずーーっと「コイツはしゃべらなかった」「ぼーーっとしてた」て言われるくらい、そういうところで喋れない人だったと思うんです。そんなんだったにのみやくんが、今ではこうして鋭いツッコミをし、面白くなるところでちゃんと弄って、的確にパスを受け取り、的確にパスを投げていくようになったのは、この4人と、嵐というグループを組んだから…なんだろうなぁと。だからこそ、にのみやくんにとってツッコむのも、弄るのも、相手は4人でしかないんだろうなぁと。オタクをしていくなかで「きっとそうだろう」とは思っていたけど、それがこの瞬間確信に変わって、だからこそ切なくて、哀しくなりました。素直になりきれない、でも素直なにのみやくんから、目にいっぱいの涙を溜めて、くしゃくしゃになりそうな顔から出てきた遠回しの「もっと5人でいたい」「休止したくない」という想いに、そりゃ~~~~~~~泣きました。ボロッボロに。

 

そんなボロボロに泣いているわたしにさらに追い打ちをかけるように、いろんなところへの感謝を伝えていくにのみやくん。先輩だろうが敬語使わないし弄りまくるしで外野からは失礼だとかなんとか言われがちだけど、「見てくださっているかわかりませんが」「追いつくなんてとんでもなく」なーんてどこを切り取っても敬意しか伝わってこない言葉たちに「好き!!」となり(語彙力)、「後輩とは出逢わないようにしてる」なーんて言ってた時代もあったにのみやくんから出てきた後輩への言葉たちに「好き!!!!」となり(だから語彙力)。

表に出てくることはなかったけれど、裏でバッチリ支えた5人の名前を出したときには、本っ当に大好きなにのみやくんが詰まっていて。アレですね、宿題くん最終回でずっと前説やってくれてたブラックパイナポー呼んだやつとかこないだのMr.VS嵐でバウンドホッケーのパック回収スタッフを出したりとか、そういう裏方にもちゃんと目を配り、光を当てることのできるにのみやくんが、わたしは本当に大好きなので、長年バックでついていて、かつこの日までサポートに入っていたJr.の名前を出したところで、またボロ泣き…ていうかここらへんずっと泣いてるんだけど(笑)、そんなわたしの「好き」が詰まりすぎた、完璧すぎる挨拶でした。最後の最後の「…また。」は本当~~~~~~~~~~~~~~~~~~に狡かったなぁ、その表情と、声のトーン含めて。本当に狡かった。

 

 

 

うん。

 

 

 

わたしの人生、本当に嵐でできていました。

物心ついたときにはもうすでに嵐はトップアイドルで、流星の絆のにのみやくんを見て一目惚れをし、VSをはじめとする嵐の番組を見て嵐の雰囲気だとかバラエティが好きになり、歌番組でも見るようになって曲も知るようになって、インターネットを自由に徘徊できるようになってからは嵐で検索し勉強し続ける日々を過ごし、Johnny's netで知った自担のラジオ番組をradikoで聞くようになり、初めて自分のお金でCDを買い、DVDを買い、ドームに行き、グッズを買い、ワクワクに行き、FCに入り、コンサートに行き………………。嫌なことも、良いことも、日常生活は嵐で全部浄化されていました。嬉しいときも楽しいときも、辛いときも苦しいときも、いつもそばに嵐がいて。よく「○○はわたしの青春です!」なんて言いますが、わたしにとっては青春なんてもんではなく、人生そのものな気がしています。20歳になったばかりだけど、わたしの10代を構成してくれたのは嵐だったので。アイデンティティが形成される上で、大きく関わったのはにのみやくんをはじめとする嵐の言葉たちだったし、本当に、嵐はわたしの人格形成の段階から支えになっていました。「毎日、どこかに嵐がいた」本当に、そんな生活でした。

なので、これから自分がどうなっていくのか、本当に不安しかありません。人間としてどう生きていくのか、どう生きていけばいいのかもわからない。「嵐を知る前の生活に戻る」ことなんて出来ない。だって、そんな日々を覚えていないし、もはや知らないのだから。嵐のみんなもそうなんだろうけど、わたしはわたしでここから第2の人生が始まるような、そんな気がしてしまっています。趣味に比重を置きすぎたなあ自分……。ちなみに第2の人生が始まって2日、さっそく「つまんねえな」って感じです。笑

 

それでも。

 

明けない夜はないのだから。

 

また今日も、明日も、頑張って生きてみようと思います。

虚無感と、寂しさと、切なさと、いろーんな負の感情があるけれど。もう暫く、わたしの大好きだった5人特有のあたたかさに触れることは出来ないけれど。もう暫く、本当に大好きだった銀河一の輝きを放つキラキラアイドルな自担にも会えなくなっちゃうけれど。決して「サヨナラ」ではないから。頑張って生きてみたらイイことあるかもしれないし、また巡り合えるかもしれないし。頑張るよ。頑張ってみるよ。嵐に支えられて生きた人生だけど、同時に、嵐から生き方を学んできてもいたから。好きの対象だけじゃない、尊敬の対象でもあった5人のように…っていうのはちょっと難しいけど、わたしなりに頑張ってみようとは思います。嵐、たくさんのことを教えてくれて、本当にありがとね。

 

 

たとえもう会えなくても。嵐のファンでいれたことは本当に誇りに思うし、本当に幸せな時間だったと胸を張って、声を大にして言います。こんなにも楽しい、幸せな人生を歩むことができているのは全部、嵐のおかげです。本当に本当にありがとう。

そりゃ~また5人に会えたら嬉しいけど、5人それぞれが幸せだと思う道を選んでくれたら、それがわたしにとって一番の幸せだから。泣かずに笑顔で、寂しいなんて感情は持たずに送り出すことはできなかったけど、嵐に幸せでいてほしいという気持ちは、偽りのない、わたしの心の奥底からの願いなので。自分たちの思う道を、自分たちの思う幸せを、生きていてほしいなあと、ただのオタクではありますが勝手に願っています。

 

嵐のみなさん。

21年間、本当にお疲れさま。

わたしの人生を華やかにしてくれて、本当にありがとう。

最後まで、"現在"の嵐が一番好きだと、そう思わせてくれてありがとう。

嵐を好きになれて、本当に、本当~~~に、良かった。

 

いつまでも、大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

…また、いつか。